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1970年代以降アメリカの多文化主義をめぐる論争は、わたし的にはどこか「他人事」で、頭のなかだけで完結している問題という感覚で、どうにも実感がわかなかった。
でもこの『ハーヴェイ・ミルク』で、ハーヴェイの発言や行動の映像をみていて、ほんの少しだけ、皮膚感覚的に、あの時代のマイノリティが何を求めていたのか、分かったような気がする。ああそっか、ハーヴェイは、マイノリティであり続けることを生涯もとめ続けたんだ、と。
保守派は、ゲイが新しいマジョリティになろうと画策しているんだと恐れていたのだけれど、ハーヴェイ・ミルクやゲイたちの発言、行動は、「個の尊厳」の実現のためのもので、マジョリティとの戦いが目的ではなかったように思う。
マジョリティ礼賛の日本では、そのあたりを誤解しがちではないかしら?
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