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さて、日伊の郵便事情の件はとりあえずおくとして、カネヴァッチさんの本のタイトル『Una stupida fatticita』は、私にはとても訳しづらいのですが、stupidaは、本人の言い換えではastonishing<驚くべき、驚異の>ということで(stupid<愚か>ではないと明言しています)、ではそれはれはto be numbed<しびれた、麻痺した>に近い感じの言葉なのかときいて、ほぼそのとおりという返事をもらいました。要するに、私の受ける感じでは、カネヴァッチさんのいうstupidaというのは、「が〜んとくる」とか「一発くらわされた」というニュアンスですね。ですからとりあえず、この本のタイトルは『しびれるような事実性』と訳して紹介することにします。
さてこの「しびれるような事実性」というのは、もともと哲学者アドルノの言葉だということですが、タイトル全体をヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』のなかにある「It is not how things are in the world that is mystical, but that it exists. 」(TLP 6.44)に近いニュアンスでとらえていいのかときいたところ、それでいいという返事でした。このヴィトゲンシュタインの文章は、「神秘的なのは、世界のなかに事物がどのように存在するかではなく、世界が存在するということだ」とでも訳しておけばいいでしょうか。
「しびれるような事実性」というタイトルをとおし、カネヴァッチさんは、世界がどのようなかたちで存在しているかではなく、世界が世界であること(世界の事実性)そのものに気がつくと、一発喰らわされたような強いショックを受けて、頭のなかが麻痺してしまうというようなことをいいたいのだとおもいます。
澁澤龍彦さんが『新婦人』に書いたベルメールの紹介を読んだ(見た)ときの四谷シモンのそんなstupidaな感じだったんではないでしょうか。
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