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名歌にしたい狂歌#1

 投稿者:敬愚  投稿日:2017年12月21日(木)08時55分56秒
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  Robin D Gillの古狂歌ブログは中々作られず人のを借る
#名歌にしたい無名歌#001 #岩舟と大和しま人を詠む

夫木和歌抄に転載 百首御歌 賀 常盤井入道太政大臣1269没
あま雲に岩船うけしそのかみを思へば尽きじ大和しま人
Boulder ships that floated in upon the clouds is all we know;
who can trace us back before - the island race of Yamato!

<読者・プラグイン・アンケート>
「一見したところで、上記の無名歌を名歌にしたいかどうか」
1是非Yes!2多分。3無意見。4どうかなあ。5絶対No!]

天に雨も神に上も大和に山も英訳しかねても、起源が不尽なる大和島人の名詞止の余韻が伝わる。かの細石が巌に成ると云う新奇な発想と同様に我々の想像力をそそりながら「苔の蒸すまで」の有限よりも無名歌の「思へば尽きじ」に感じる幽玄の方が気に入る。日本の豊国を自慢、君を寿ぎ、御代を祝う古典的な賀歌の類と、同じ山上に到着すると云うノアの箱舟のくどい詳細を綴る旧約聖書の神話と異なって、願いも教訓もなく素直に首尾が未知なる神道本来の心を詠む無名歌だ、我は。

「無名」といえば、この和歌の原文と二通りの狂訳が2009年の拙著Mad In Translationに出たまでに、1310年成立の『夫木和歌抄』以外の転載は無かろう。日文研の和歌DBにも、何百冊入り狂歌本の三大シリーズに見当たらなかった。約二万首入る『夫木』は江戸以前に部数が少なかったし、件の首が入る巻三十六にある雑部十八の「賀」歌は、本の終わりに近い。活字以前の可読速度を考慮すれば、見捨てられたよりも、誰も読み届けられなかったかも知れないが、活字版が明治29年に出た。

現代人も、この首を疎かにしてしまった理由を当てて見る。イ)近代化の科学的な教育を普及せんと、岩舟は迷信として見下されて、歌は無視されたか。細石の巌に成る国歌も怪しいが、砂利に石灰が付いた大石に塊まった具体例のおかげでかろうじて認められたが、空を浮く岩舟は無理か。ロ)上に述べた理由で「賀」歌として失格が問題か。ハ)活字になっても戦前・中は国の為に皆も多忙で読書の暇なかったし、戦後だと学位主義の専門化と不景気で国文学者には、小生の如キャリアをさぼり貧乏になるとも何十万首の歌を四六時中に読む覚悟ができず、古典選集しか見ないで昔の名歌はずっと名歌、そうでない秀歌でも、無名のままに見逃されるか。二)小生は判断するに教養が不足で、当の首を名歌にする甲斐もないか。ホ) 他に仮説あるなら、知らせて下さい。

<プラグイン・アンケート>
「蛇足を読んだ上で同じ無名歌を名歌にしたいかどうかの確認」
1是非Yes!2多分。3無意見。4Maybe not。5絶対No!]

※ご参考に。 岩舟と巌になる細石の諸説と何十歌例入る拙著『古狂歌 滑稽の蒸すまで 副題=鮑の貝も戸ざさぬ国を祝ふ』を。

※歌人の子孫にアピール。願わくば、名歌にしたいこの無名歌を岩船のある神社の歌碑になる。WIKIでは、常盤井入道(西園寺家 鎌倉時代の歌人 鎌倉時代の公家)の氏族は藤原北家閑院流西園寺家で、皇族の子孫も多く残したかも。ご縁あらば、この無名歌も御めでたく歌碑になる日は遠くないかもしれない。

Categories 和歌 狂歌 俳句 岩舟 神代 大和島人の起源 国歌
Words 常盤井入道 皇族の子孫 歌碑 万葉集 夫木和歌抄 古狂歌 狂訳
 
 
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